心と波動の世界の質疑応答集

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なぜ挨拶は必要なのですか

新潟県上越市で発行している、フリーペーパー誌「WILL」に投稿している記事です。

「なぜ挨拶は必要なのですか」

出している記事は、ページ数の制限があるので、元原稿を掲載いたします。


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「なぜ挨拶は必要なのですか」


これは、11月4日付けの神戸新聞だそうです。

以下、ネット上にそれに関連する記事がありましたので、一部引用してみたいと思います。


「マンション内あいさつ禁止」は防犯になるのか?

紙面を撮影して投稿したユーザーは、

「これが日本の最先端の近所付き合いです」とツイート拡大写真

新聞に投稿された「マンション内ではあいさつをしない」というルールが話題になっている。


11月4日付の神戸新聞に掲載されたのは、マンションの管理組合理事をしているという56歳男性による投書。「住民総会で、小学生の親御さんから提案がありました。

『知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内ではあいさつをしないように決めてください』。」という内容だ。

ほかの住民たちも、「あいさつが返ってこないので気分が悪かった。

お互いにやめましょう」と賛同し、「あいさつ禁止」が決定してしまったのだとか。


この紙面を、あるTwitterユーザーが撮影し、画像とともに11月4日に投稿すると、8日12時時点で2万8000以上リツイートされるなど反響を呼んでいる。・・・以下省略・・・


・・・・そうなのですね。

確かに、100人いれば100人の色々な考え方があります。

日本は、民主主義の国家です。

する自由と、逆に言えばしなくて良い自由も与えられています。

それが、たとえ社会的にどうなのか、人間的にどうなのかは別とします。

これは、挨拶する自由を奪っていますね。

挨拶したくない人はしなくて済んでいたのでしょうが、挨拶をしたい人の自由を奪ってしまいました。

もっとも、人から挨拶されたくない人の人権が今まで侵害されていたのを正した、挨拶をされることによって生ずる精神的苦痛から解放させた、といえばそうなのかもしれませんが・・・

挨拶をする人、したい人の自由や権利よりも、挨拶をしたくない人の権利が上回ってしまい、結果、「挨拶禁止」という前代未聞の決まりが出来てしまいました。

おそらく、挨拶肯定派は意外と少数だったのかもしれません。


私だけかもしれませんが、この事に異常性を感じます。

日本の社会もここまできてしまったか・・・

行く先は、人間の心の荒廃の道です。


私の感覚では社会生活では、知らない人同士、すれ違ったら声を出さずとも、会釈的な挨拶はするのが普通だと思っています。

車で道を譲り合う、朝の散歩や出勤でお隣の家の人やすれ違いの人と目と目があったら、自然と挨拶をする。

そこに相手の事を知らずとも、心の中に平和な気持ちが芽生えてきます。


ある地域では外で仕事をしていると、積極的に小中学生がすれ違う度に大きな声で挨拶をしてくれます。

最初は、ちょっとびっくりしましたが、慣れると挨拶をしてくれる子供たちのことを好きになってきます。

学校も家庭も、ちゃんと教育してくれているのだなと思うと、ちょっぴりうれしくなります。

私もコンビニやスーパーでは、レジで挨拶とは言わなくても、お釣りをもらうときなど会釈ぐらいはします。また一言くらいは、言葉を発します。

その様に、色々な人と自然な形で挨拶(心の中だけでも)をする事によって、安心感が生まれ、何となく連帯感のようなものを感じてきます。


もし、挨拶が禁止となったらどうでしょう。

学校で、職場で、お客さんでも、知らない人だからと、挨拶をしなければどうなってしまうでしょう。

社会は、ギスギスしたものになっていくのではないでしょうか。

そうでなくても、この記事の親御さんのお子さんは、挨拶を教えてもらっていない、その状態で社会に出たらどうなるでしょう。


人に好かれる基本は、まずは挨拶が出来ることです。

人から嫌われる人は、自ら挨拶が出来ない人です。

その様な人は、いつの間にか人から相手にされなくなります。

そうなるといざという時に、誰も助けてはくれません。

なぜならば、一番最初のコミニュケーションを自ら閉ざすからです。

好き嫌いと言うよりも、そのような人は、人間としての存在感が薄くなってしまうからです。


この親御さんは、おそらく大切なお子さんが犯罪に巻き込まれるのが心配で、この様な提案をしたのでしょう。


しかし、よく考えてみてください。

犯罪やトラブル、災いに巻き込まやすい人は、挨拶も出来ず、健全なる社会の輪に入ることを自ら拒否している人です。

挨拶が出来るときは心が明るいときです。挨拶ができないときは、心が暗いときです。

人間は、心が明るいと自然な状態で守られ、心が暗いと、トラブルに巻き込まれやすくなるのです。


人間の人生や運勢は、自分で決めて行くものです。

ですから、挨拶はしなくてもいいのです。

その人の自由です。

良い運勢も悪い運勢も、選択肢はその人の自由なのです。

だからといって、身を守るために? 他の人を巻き込んで、まきぞいにする権利などあろうはずはありません。

正直なところ、この環境で育っていくお子さんの将来が心配です。

この親御さん自身は、これからどのような運勢が展開されるにせよ、自己責任でその様な姿勢で生きていくのは自由です。

しかし、これからの人生の中で、その様に狭い考えの枠をはめられてしまった子供は不幸です。

いったい、どうなっていくのでしょう。


これを読まれている方は、どのような考えを持たれていてもかまいません。

ただし、このことだけはよく考えてみましょう。


それは、日本語の意味です。

日本語はとても良くできています。

人として、もっとも大事な言葉は最初に出てきます。

どこに? それは五十音の中の文字にです。

最初は「あいうえお」です。

あいは愛であり、会いです。

あいさつも最初の二文字は「あい」で始まっています。

決して偶然ではないでしょう。

日本語は、心のあり方すら表しているのです。

人と会うときに愛の心で接する、その一つの現れが挨拶なのではないでしょうか。


愛には、暖かさがあり、心の光があります。

私たちはそれを一時も忘れてはならないはずです。

挨拶の行為を通じて、お互い温かい心を通じ合うことのできる人たちは幸いです。


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クリックすると、拡大されて読むことが出来ます。

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