心と波動の世界の質疑応答集

慈悲とはどういう意味ですか?-1

タイトルそのままのご質問をいただきました。

ただ、私は、宗教者でも哲学者でもなんでもないのですが、ただ思ったように書いてみました。



慈悲について


なかなか難しい概念です。

慈悲の概念は、私の考えですと、太陽の存在を考えると、何となくつかめるように思います。

太陽は、地球の空が曇りだろうと、雨だろうと、常に私たちの環境に合った光を与えてくれています。

自然界の仕組みだと言ってしまったら、それまでですが・・・

空が晴れたときも、曇り空の時も、一定の光です。

季節によって違うのは、受ける地表の角度が微妙に変化するからです。

太陽そのものが調整しているわけではありません。

まして、そこに住んでいる人や生息している生き物によって、太陽の光の当て方を変えているわけではありませんね。

みな、一定の光で平等に生命の為の光、エネルギーを与え続けています。

それの光をまんべんなく受けられるかどうかは、住んでいる環境や、その人の生活行為によって違うだけなのです。


私たちの心が、太陽だったとすると、その光は、誰に対しても精一杯の心のエネルギーを与えるということになります。

ただし、その心のエネルギーを受けるかどうかは、常に相手の問題です。

誰に対しても、差別なく平等に、最大限の心を尽くす、真心を尽くす、思いやりの心で接するという事だと思います。

仮に、何らかの都合で相手が反発したり、無視したりしても、そのことに対して、またその人に対しても、もし太陽ならば、じっとその人たちに対しても、光を与え続けるはずです。

決して、「では、その人には光を与えない」、などということはないと思います。


私たちの心も、その様にあって欲しいものです。

あの人には、親切にするけれども、この人は気に食わないから無視する、などということが仮にあったとすれば、それは、太陽の心と違います。

太陽の光が慈悲であったとしたら、その様な行為は慈悲ではなく、偽善になってしまうでしょう。

自分に気に食わない人がいたら、その人が良くなるまで、じっと心の光を与え続ける、そして良くなってくれる時をじっと、静かに待ち続けること。

間違っても、怒りの心で相手に攻撃をしない、ということだと思います。


慈悲は、自光 ( 自から光る、じひ ) だと思います。

自らが太陽の心となり、また化身となって、自らの心を光らせ、周囲を明るく照らすという意味で、自光。

自ら輝きを持って、その光ですべての人に、平等にその光、真心を与え続けるという事だと思います。


その為には、太陽のような心を持たなければなりません。

太陽の心とは、言い方を変えると天上界の人たちと同じ心になって、その心ですべての人に接するということです。

その心になったとき、その人の心は、天に昇華しその世界の住民と同じ心で、分け隔てなく、暖かいまなざしですべての人に接することになると思います。

その時の心の状態の現れが、慈悲という行為になるのだと思います。

その意味で、慈悲の心の現れは、そのまま神の世界の心の現れといってもいいと思います。


ちょっと抽象的ではありますが、思いつくままに書いてみました。

あくまでも、自分自身の見解です。


~そうしましたら、この様な返事をいただきました。

ふと、思いましたが、太陽は、太陽以外の(自分以外の)ものの為に光を出しているのでしょうか?

そうではないと私は思うのです。

光輝いているのは役目なんかでもないと思います。

それは宇宙の仕組みの一部に過ぎないのだと考えます。

今こうして文章を書いていて、慈悲の心を持つ事と、太陽が光を放つ事はちょっと違うように思えて来ました。



それで、また自分なりの見解をメールさせていただきました。


~続く~



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