心と波動の世界の質疑応答集

言ってることと、やってることが違いますね!!
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ある方から、こんなメールをいただきました。

お返事はしたのですが、最後にこの様に書きました。

「でも、面白い投げかけなので、これはブログに考え方を書こうと思います」

ですので、ブログに一つの考え方として書いてみました。


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こんばんは。○○です。

なぜ戸隠神社に行かれたのでしょうか?

言ってることと、やってることが違いますね!!

まあ人のことは言えませんが。

反論はご遠慮ください。

以上


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この方は、何か勘違いをされてしまっているようです。

言っていることと、行っていることを一致させることが出来たら、それはそれは大変すごいことです。

私自身も、言動一致になったらすごいな、と思います。

でも、どちらかというと日常生活の中では、言動不一致が多いのが私の現実の姿です。


それはさておきまして。

確かに、過去にというよりも、常々このような事は今でも、よく話をいたします。

神社仏閣に行って、そこにある神様仏様にお祈りしても、それはだめですよと。

それは偶像崇拝になるのと、ただ単にお願いになってしまうことが多いという事。


(それは願いが叶う仕組みにはなっていないからです。

会員さんには、会報CDのNo64の中で、「祈りと念の違い」という事でお話を収録してあります。

一つのものの見方として、参考にしてください)


そしてただ単に、お願いをさせるような御利益主体の場所には、人の短絡的な欲の念が集まりやすいのです。

また場所によっては、動物霊の棲み家になってしまったり、本来の目的とは違ってしまい、波動が落ちた場所になってしまうこと。

等々、様々な要因があるからです。


神社仏閣に行くこと自体が、どうかではないのです。

変な考えに囚われた、偏見を持ってはいけません。


それは、ほかの場所でも同じ事がいえます。

スーパーにしても、コンビニにしても、お店にしても、会社にしても、近隣の家にしても、劇場にしても、レジャー施設にしても然りです。

通常の日常生活の範囲でしたら、どこは行ってもよい、どこは行ってはいけない、ということはないはずです。

もし、そのようなことにこだわりがあり、またそのようなことで、人を批判的な目で見るのでしたら、それは心が小さいとしかいえないのです。

またそんな事をいちいち気にしていたら、逆に精神が病みます。

引き込もり生活しか、出来なくなってしまいます。

そうなったら、本末転倒です。


私が、なぜ神社仏閣に行ったのか。


その方は、その事でかなり私自身に、不満を抱かれているようです。

自分なりの見解を、書いておきたいと思います。

あくまでも、私一個人の考えです。

それを他の人に当てはめる気持ちはありません。


1 新年は、年という区切りの大事な節目です。


家で、ただ過ごすよりも、心を切り替え、新たな決意をするという意味で初詣に行くことはよいと思います。

実際に毎年、私もそうしています。

子供も連れていきます。

お互いに、気持ちの切り替えが出来るからです。


2 日本人のルーツを感じさせる場所なのです。


日本人の元々の心に触れる事が出来ます。

建造物から、ご神木を中心とした樹木から、その精妙な空間、空気から・・・です。

もちろん、心を込めて作った、神仏の姿からもです。

そこには、作り、奉り、守り続けてきた、という信仰心から生まれる真摯な心が感じられます。


3 そこにある神仏にお願いをしに行くのではありません。


今年すべき事、これからすべき事、自分自身で感ずる使命に対して全うできるようにするめ、その場所を通じて、天の世界に誓いを立てる場所にしているからです。

もちろん、自宅でもいいのですが、節目節目は場所を変えて心に緊張感を張り巡らすのです。


ですから、その観点から言うと、そこは願い事を叶えてくれるような、安易な場所になってはいけないのです。

本当は願いが叶うという事を謳って、商売をして欲しくないと思うのが、私の本音です。

ややもすると、そこに奉ってある神様、仏様にお賽銭と引き替えにお願い事をする、またお札を買う、お守りを買うということが、習慣となっています。

それは、本来の神社仏閣にある姿とは違います。


私の考える本来の神社仏閣という場所は


心を見つめ直す場所。

心を磨く場所。

心をきれいにする場所。

心を天の世界に結びつける場所。

そして、心の中で神の息吹を感ずる場所。


でなくてはならないと思っています。


高橋信次先生の著書に触れ、その事が分かったときから、私は目の前にある神様、仏様に対して祈ったことは一度もありません。

祈るときは、目の前に何があろうか、なかろうか関係なく、その瞬間常に、自分の意識は、一直線に天の世界に繋がるんだ、という気持ちでしています。

目の前のものは見ずに、心の中で遙か上空の世界を見ています。


ですから、その想いでいる限りは、どの場所にいても、祈りの場所は作れるのです。

どの場所でも同じなのです。

スーパーの休憩所でも、マクドナルドの中でコーヒーを飲みながら座っていても、同じです。


行く場所場所により、心が引き締まったり、ゆるんだり、またいやされたり、ということはあります。

しかし、それはあくまでも表面の話です。

それだけをみて、一方的な目で見ないことです。

心の中は、常にその人にとって理にかなった動きで、天にも通じ、またその逆の方の世界にも通じます。

どの場所だからではなく、どこにいても、一瞬一瞬の心の動きが、物事を決めていきます。


人を冷ややかな批判する目で見ても、その人にとって何も得るものはのはありません。

かえって、心が落ちるだけです。

人かどうかよりも、自分自身のあり方、心の向け方をしっかりと見つめて欲しいと思います。

人を見て、批判するのではなく、ならば、自分だったらどうするか、を常に考え、行動するところに、人間の成長があります。

この方の言いたいことは、分からないでもないですが、もっと本質的な事に心を振り向けなくてはなりません。



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運命はすべて決まっているか
運命はすべて決まっているか


それは、神のみぞ知る。

としか言えないでしょう。


高橋信次先生は、人の思うことは、神であっても変えられない、というようなことを言われておりました。


運命はすべて決まっている。

いや、このようにしたから、運命が好転したんだ、ということがあっても、それも、そのようになるように実は全てが決まっているのです。

というような事を、以前某講演会で聞いたことがあります。

それによると行動はおろか、思うことも全て決められてきているようです。

それは、幸不幸に関係する事も含めて、努力とは関係なく実はあらかじめ全て決められているだけなのであると・・・

今は亡き、小林正観さんという方のお話です。

その時は、少々頭の中が混乱ている自分がありました。


先日、ある方に良い本だからと、書棚にある小林正観さんの本を貸してあげました。

そうしたら、その中にも同様なことが書いてあったようで、その方も戸惑っていました。


では、実際はどうなのでしょう。


・・・答えは・・・


確かめようがありませんから、

分かりません。


ただ、自分自身で納得できる事を、信じる。

それしかないと思います。


何を信じるか。

誰の言葉を信じるか。

どのような事なら、腑に落ちるのか。


私自身は、高橋信次先生の言葉を第一に思い、考え、信じている人間です。

それによりますと、

(多少ニュアンスが違うところはあるかも知れませんが)


この世の他に次元の異なった、あの世というところがあります。

それは死後の世界であり、またこの地上に生まれてくる前の世界でもあります。

あの世から、この世に生まれてくるときに、生まれてきたらどのような人生を送るのか、かなり綿密に計画してくるのだそうです。

当然一人では生きていけないし、人との関わりで人生は大幅に変化もします。

それなので、一緒にその時代に生まれてくることたちも含めて、計画がなされるようです。

(複数の人たち、それもかなりの大勢になると思います)

身近なところでは、親子、兄弟、親族、そして学校から始まり、職場での人間関係、そして夫婦の縁組み、そこから次につながる親子関係と・・・無限にそれは繋がっていきます。

ですから、出会うべきして出会う。

意識する、しないに関わらず、無意識の中に仕組まれている。

それは好き、嫌いに関わらずです。

当然ながら、職場や仕事の選択も、あらかじめ決められてきます。

諺にもあります。

「袖する合うも他生の縁」と。


そしてその中で、最大限に活躍出来た時、人生に喜びが生まれ、運気も上がった状態になる。

しかし、それが上手く活用できず、脱線してしまったときに、人生の苦しみ、苦悩が生まれ、不幸という現象が起こる。


それは、その時の心の状態いかんによるものだ、というのです。

単純に言えば、心の中が、怒り、妬み、グチ、非難中傷などの想いでいっぱいになる、自暴自棄になったりし、心がスモッグに覆われていったときには、決めてきた人生の枠の下限まで、あるいはそこを突き破って際限なく下に落ちてしまう。

心が太陽のように、常に輝いていて、そのまま明るい心で生きていった場合は、限りなく決めてきた人生の枠の上限まで上がり、有意義な日々を送ることが出来る。

という事のようです。

同じ事をしても、人それぞれ想い方、感じ方は違います。

幸不幸は、同じ環境にいても一人ひとり境遇が違えば、味わい方も違います。


人生は、生まれてきた以上、生まれてきた環境という枠の中で、少しでも心を丸く、明るく、大きくしていかなくてはなりません。

想うことは、その人の自由です。

何人も、相手の行動を支配できても、心の思う事の自由を奪うことまでは出来ません。


また結婚などに関しても、この世に生まれてきた都合で相手が変わってしまっても、それも自由なのです。

あの世で決めてきたことであっても、この世の都合でいくらでも変わってしまうのが現実の姿なのです。

(ただ、その場合は、本来の生き方と違ってくるので、上手くいかなくなるようですが・・・)


思う自由があれば、当然、日常での選択する自由も出てくるはずです。

ただ心が進化し、正しい道を求めるとき、本来の決めてきた計画に沿った人生に、無意識のうちに向かって突き進みながら、人生を全うしようとするでしょう。

その時、その人の心と、その周りには天国の世界がそのまま現れることでしょう。

それはそのまま、その人の行くあの世の世界を現します。


逆に、自分勝手な思いで、自由に想い、自分勝手な選択をすると、本来の生き方からは大幅に脱線し、予定にはなかった想定外の転落の道が待っている事も知らなくてはならないでしょう。

その時には、その人の心とその周りには、地獄の世界がそのまま現れることでしょう。

それはそのまま、その人の行くあの世の厳しい世界が待ちかまえています。

それはその人の心に見合った、この世の「善」という要素を抜き取った、争いと混乱のみ世界になるからです。


何を想い、何を選ぶか、それはその人の心の持ち方一つだ、と言うことだと思います。


波動測定を通じても、よく思いますが、未来の姿は今の心の延長線である、という事です。

とすれば、今の生き方を正せば未来の姿も正されるという事になります。

結果、運命は変化するという事になります。

そのように考え、正しいと思える生き方を模索し、そして進むことが人生の幸せな道を歩むことになると思います。


運命が決まっているか、どうかはさておいても、人間らしく正しく生きることは大事だと思います。

安易な運命論には、翻弄されないように心がけたいものです。

全ては、私たちの一瞬一瞬の心の針の向いている方向に、運命は引っ張られているということを自覚していきましょう。



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