>実際に現地に出向けなくて、でも、ご先祖様の供養等は、どのような心持、配慮が必要でしょうか?
という事ですが、
ご先祖様への供養で、大事な事を言いますね。
まず、仏壇でも、お墓でも共通して言える事ですが、
仏壇、お墓には、死んだご先祖様は住んでいたら困るのです。
地上界の混乱の原因になります。
その場合、この様な形で繰り返し祈ってください。
「もしここにご先祖様がいらっしゃったら、ここはあなた様の本来の居場所ではありません。
この世界にいらっしゃるようでしたら、ここは肉体をもって生活する人たちの場所なのです。
あなた達は、本来の戻るべき世界があるのです。
ここにいらっしゃるという事は、この世界に対して執着心があるのまです。
この様な心があっては、いつまでも、孤独で、窮屈な冷たい世界から抜け出す事は出来ません。
どうぞ、生きているときの事を良く反省して、心の執着をなくして、本来いた世界にお戻りください。
ご先祖様の幸せを心からお祈り申し上げます。」
本来は、この地上に執着がなければ、あの世の天上界に戻ります。
そして、あちらの新しい生活を謳歌されるはずですので、一々こちらの世界の心配などしていません。
お互い別々の生活があるのです。
でも、一年に一度くらいは、お墓参りなどで、元気な円満な姿を見せると、あちらの世界に行かれた人たちも安心していられるので、そのような、円満で調和された姿で、お参りされるという事はとても大事な事だと思います。
もし、地縛霊になっている方がいても、そのような姿を見せると、だんだん気づきを与えていく事になりますので、いずれにしましても、良い事なのです。
ただし、不調和な心や状態でお参りをしますと、
(イライラ、争い事などを引きずっていくと)
あちらの世界の人も嫌になってしまいますよね。
また、地縛霊がいた場合は、心の波長が同通して、憑依現象が起こります。
あくまでも、心を調和してお参りをしたり、あるいはお参りが出来ないときは、ご自宅で祈ってください。
その祈りは、どこにいても通じますので。
それと、ご先祖様にお願いは駄目ですよ。
ご先祖様は、願いは叶えません。
あちらの生活がありますから、足を引っ張るような事、思いはしてはいけません。
その思いが、あの世の住民に迷惑をかけてしまいます。
それよりも、
「今一生懸命に生きているから、ご先祖の皆様、どうぞ安心してください。」
というような祈りをしてください。
それから、お願い事ですが、
ご自分の心が綺麗になって、天上界の心と繋がるようになると、守護霊を通じて、必要な望みや環境は自然に整っていくはずです。
ですから、願い事が叶うのは先祖の助けではない、別作用だと言う事です。
【SE研究所ホームページ】
http://www.selabo.jp/
【今よみがえる高橋信次先生の教え】
~メルマガも購読ください~
http://www.mag2.com/m/0000147225.htm
文証編
【正法と波動エネルギー】
~高橋信次先生・園頭広周先生の教え~
http://plaza.rakuten.co.jp/hhokari/
理証編
【新説:時空間を越えた幸福論】
~SE研究所セミナー集~
http://blogs.yahoo.co.jp/sefuti/
現象編
【驚異の気の世界~驚くべき体験集】
~奇跡のオンパレード~
http://blog.livedoor.jp/hihokari/
質疑応答集
【心と波動の質問集】
~過去の質問より抜粋~
http://selabo.blog53.fc2.com/

という事ですが、
ご先祖様への供養で、大事な事を言いますね。
まず、仏壇でも、お墓でも共通して言える事ですが、
仏壇、お墓には、死んだご先祖様は住んでいたら困るのです。
地上界の混乱の原因になります。
その場合、この様な形で繰り返し祈ってください。
「もしここにご先祖様がいらっしゃったら、ここはあなた様の本来の居場所ではありません。
この世界にいらっしゃるようでしたら、ここは肉体をもって生活する人たちの場所なのです。
あなた達は、本来の戻るべき世界があるのです。
ここにいらっしゃるという事は、この世界に対して執着心があるのまです。
この様な心があっては、いつまでも、孤独で、窮屈な冷たい世界から抜け出す事は出来ません。
どうぞ、生きているときの事を良く反省して、心の執着をなくして、本来いた世界にお戻りください。
ご先祖様の幸せを心からお祈り申し上げます。」
本来は、この地上に執着がなければ、あの世の天上界に戻ります。
そして、あちらの新しい生活を謳歌されるはずですので、一々こちらの世界の心配などしていません。
お互い別々の生活があるのです。
でも、一年に一度くらいは、お墓参りなどで、元気な円満な姿を見せると、あちらの世界に行かれた人たちも安心していられるので、そのような、円満で調和された姿で、お参りされるという事はとても大事な事だと思います。
もし、地縛霊になっている方がいても、そのような姿を見せると、だんだん気づきを与えていく事になりますので、いずれにしましても、良い事なのです。
ただし、不調和な心や状態でお参りをしますと、
(イライラ、争い事などを引きずっていくと)
あちらの世界の人も嫌になってしまいますよね。
また、地縛霊がいた場合は、心の波長が同通して、憑依現象が起こります。
あくまでも、心を調和してお参りをしたり、あるいはお参りが出来ないときは、ご自宅で祈ってください。
その祈りは、どこにいても通じますので。
それと、ご先祖様にお願いは駄目ですよ。
ご先祖様は、願いは叶えません。
あちらの生活がありますから、足を引っ張るような事、思いはしてはいけません。
その思いが、あの世の住民に迷惑をかけてしまいます。
それよりも、
「今一生懸命に生きているから、ご先祖の皆様、どうぞ安心してください。」
というような祈りをしてください。
それから、お願い事ですが、
ご自分の心が綺麗になって、天上界の心と繋がるようになると、守護霊を通じて、必要な望みや環境は自然に整っていくはずです。
ですから、願い事が叶うのは先祖の助けではない、別作用だと言う事です。
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義父の
「だから今は、まだ行かなくて良い」
という言動は、ご相談者の方にも、ご先祖様に対しても、ちょっと冷たく感ずるのは私だけでしょうか?
(今はきちんとしたお墓ではなくて、永代の集合の供養をしてもらっているから、)
というのはどうなのでしょうか。
する側の人は、常にされる側に立って、自分がされたら、あるいは言われたら、どう思うだろうか?
と、常に考え、行動出来るようにしたいものです。
なかなか完璧には出来なくても、その様に考え、される側の自分が喜ぶような事をする、また言うという、習慣をつけるようにしていけば、出てくる言葉も、もっと変わってくるでしょう。
もちろん、亡くなった方も同様に、どのようにしたら喜んでくれるか、それが自分だったらどうしたら喜ぶか、考えながらお墓参りもすると、儀礼的なものではなくなってくると思います。
死んだら全てがおしまいではなく、肉体以外はそのまま残っているわけですから、心で感ずる事も、思うことも、考える事も全て出来るわけです。
だから真心が伝わるように、親族の方々がみんなで、ご先祖様の幸せをこめてお参りする、祈るという事をしてあげるといいですね。
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「だから今は、まだ行かなくて良い」
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(今はきちんとしたお墓ではなくて、永代の集合の供養をしてもらっているから、)
というのはどうなのでしょうか。
する側の人は、常にされる側に立って、自分がされたら、あるいは言われたら、どう思うだろうか?
と、常に考え、行動出来るようにしたいものです。
なかなか完璧には出来なくても、その様に考え、される側の自分が喜ぶような事をする、また言うという、習慣をつけるようにしていけば、出てくる言葉も、もっと変わってくるでしょう。
もちろん、亡くなった方も同様に、どのようにしたら喜んでくれるか、それが自分だったらどうしたら喜ぶか、考えながらお墓参りもすると、儀礼的なものではなくなってくると思います。
死んだら全てがおしまいではなく、肉体以外はそのまま残っているわけですから、心で感ずる事も、思うことも、考える事も全て出来るわけです。
だから真心が伝わるように、親族の方々がみんなで、ご先祖様の幸せをこめてお参りする、祈るという事をしてあげるといいですね。
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【心と波動の質問集】
~過去の質問より抜粋~
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私の主人の父親の親戚とは縁が切れているようで、同姓の親族にお会いしたことが、結婚して子供が生まれた現在も一度もありません。「墓参りをしたい」と義父に相談したら、
「昨日行って来た。
その気持ちはありがたいけれども、今はきちんとしたお墓ではなくて、永代の集合の供養をしてもらっている。
だから今は、まだ行かなくて良い。」
との返答でした。
私としては、よく分からないのですが、遠くていけないのなら遠くから想っている事も大切であると思いますが、行ける距離であれば行って、顔を合わせてお参りするのが一番良い方法なのでは・・・?と思っています。
それは、墓参りをしたぞ、という自己満足なだけでしょうか?
義母方の親戚の墓参りは連絡取る前日に行ってきたそうです。
嫁の立場からは、とても複雑です・・・。
結局義母方の墓参りも行っていません。
実際に現地に出向けなくて、でも、ご先祖様の供養等は、どのような心持、配慮が必要でしょうか?
むやみに手を合わせて近くの関係ない何かが寄ってきても困るなぁ、と思っています。
なかなか複雑な関係なのですね。
お墓参りは、行けるのなら行かれた方がいいでしょう。
行ける距離なら行った方がいいですね。
遠方なら仕方ないですが。
行きながら、親族の方が顔を合わせて近況報告をするとよいと思うのですが。
何事も、分かりやすい形でコミュニケーションをする事は大事だと思います。
>それは、墓参りをしたぞ、という自己満足なだけでしょうか
決して自己満足ではないと思います。
もちろん、行かなくてもしっかりと心に思い描いて、どこであっても祈る事ができれば、別にいいわけですが・・・
悲しいかな、
やはりお墓参りなど、自分の目で、行動で、祈る方も分かりやすい形を取らないと、しっかりと祈るのは難しいかもしれませんね。
儀式的なことかも知れませんが、その時間でしっかりと、ご先祖様に対して祈れるなら、その方が良いと思います。
ご先祖様が、天上界に戻られているなら、お墓参りでなくても、元気な姿で毎日明るく過ごしているならば、その日常の振る舞いをみて安心されると思います。
しかし、執着心などで、お墓に居場所を構えられてしまっている場合、お墓参りという形で、ご先祖様の幸せを祈ってあげる事は、供養として大事だと思います。
その場合は、明るい心で行かないといけませんが。
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「昨日行って来た。
その気持ちはありがたいけれども、今はきちんとしたお墓ではなくて、永代の集合の供養をしてもらっている。
だから今は、まだ行かなくて良い。」
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私としては、よく分からないのですが、遠くていけないのなら遠くから想っている事も大切であると思いますが、行ける距離であれば行って、顔を合わせてお参りするのが一番良い方法なのでは・・・?と思っています。
それは、墓参りをしたぞ、という自己満足なだけでしょうか?
義母方の親戚の墓参りは連絡取る前日に行ってきたそうです。
嫁の立場からは、とても複雑です・・・。
結局義母方の墓参りも行っていません。
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むやみに手を合わせて近くの関係ない何かが寄ってきても困るなぁ、と思っています。
なかなか複雑な関係なのですね。
お墓参りは、行けるのなら行かれた方がいいでしょう。
行ける距離なら行った方がいいですね。
遠方なら仕方ないですが。
行きながら、親族の方が顔を合わせて近況報告をするとよいと思うのですが。
何事も、分かりやすい形でコミュニケーションをする事は大事だと思います。
>それは、墓参りをしたぞ、という自己満足なだけでしょうか
決して自己満足ではないと思います。
もちろん、行かなくてもしっかりと心に思い描いて、どこであっても祈る事ができれば、別にいいわけですが・・・
悲しいかな、
やはりお墓参りなど、自分の目で、行動で、祈る方も分かりやすい形を取らないと、しっかりと祈るのは難しいかもしれませんね。
儀式的なことかも知れませんが、その時間でしっかりと、ご先祖様に対して祈れるなら、その方が良いと思います。
ご先祖様が、天上界に戻られているなら、お墓参りでなくても、元気な姿で毎日明るく過ごしているならば、その日常の振る舞いをみて安心されると思います。
しかし、執着心などで、お墓に居場所を構えられてしまっている場合、お墓参りという形で、ご先祖様の幸せを祈ってあげる事は、供養として大事だと思います。
その場合は、明るい心で行かないといけませんが。
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しかし、ここで大事なのは全ては中心があり、全体はその周りを規則正しく回っているという事です。
宇宙にも中心があり、銀河にも中心があり、太陽系にも太陽という中心があって、惑星が回っているという事です。
地球も、中心があってそこを軸にして自転をしているわけです。
これは、否定したくても出来ない事実であります。
では、家庭はどうか、
やはり同様の中心となるものを軸にして、家庭生活が営まれるわけです。
この場合、家庭には夫婦がいて子供がいる(一般的に)
そして、物事を調和させるエネルギーは、つねに中心に集まり、円運動とともに、回りが調和のある動きとなる。
前回書いたように、そのエネルギーは高いところから、右周りの渦巻きを描きながら降りてくる事。
それで全体が調和される。
家庭の場合、
高いところとは、
先祖から両親を伝わってくる
それが、夫婦にエネルギーとして降りてくる。
渦巻状のエネルギーは、中心があってその周囲を規則正しく回る。
夫婦と言うよりも、家庭の場合、中心に男がいて、男がエネルギーを受けたのを、太陽の周りを回る惑星群のように、そのエネルギーを女(妻)が男(夫)から受けて、そのエネルギーを子供達に与える。
というように、必然的に、流れ方、方向は決まっているのではないでしょうか。
それを法則と言ったり仕組みといったりするわけです。
そのエネルギーを中心となって受け、そして、そのエネルギーを周囲に分配する人を主人と言うのではないでしょうか。
そうしてみると、一般的には、主人も夫も同じような使い方をしていますが、言葉の本質は全く違うという事でしょう。
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宇宙にも中心があり、銀河にも中心があり、太陽系にも太陽という中心があって、惑星が回っているという事です。
地球も、中心があってそこを軸にして自転をしているわけです。
これは、否定したくても出来ない事実であります。
では、家庭はどうか、
やはり同様の中心となるものを軸にして、家庭生活が営まれるわけです。
この場合、家庭には夫婦がいて子供がいる(一般的に)
そして、物事を調和させるエネルギーは、つねに中心に集まり、円運動とともに、回りが調和のある動きとなる。
前回書いたように、そのエネルギーは高いところから、右周りの渦巻きを描きながら降りてくる事。
それで全体が調和される。
家庭の場合、
高いところとは、
先祖から両親を伝わってくる
それが、夫婦にエネルギーとして降りてくる。
渦巻状のエネルギーは、中心があってその周囲を規則正しく回る。
夫婦と言うよりも、家庭の場合、中心に男がいて、男がエネルギーを受けたのを、太陽の周りを回る惑星群のように、そのエネルギーを女(妻)が男(夫)から受けて、そのエネルギーを子供達に与える。
というように、必然的に、流れ方、方向は決まっているのではないでしょうか。
それを法則と言ったり仕組みといったりするわけです。
そのエネルギーを中心となって受け、そして、そのエネルギーを周囲に分配する人を主人と言うのではないでしょうか。
そうしてみると、一般的には、主人も夫も同じような使い方をしていますが、言葉の本質は全く違うという事でしょう。
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【心と波動の質問集】
~過去の質問より抜粋~
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主人と夫の言葉の違いはありますか?
以前、旦那と主人?だったか、その様な言葉の違いをテレビでやっていましたが、夫と主人との違いは何でしょうね。
ネットで検索したら、それに関係するものも出てきましたが・・・
どちらの言葉も、男をイメージされると思います。
妻の立場からで見て、対等に感ずるのが夫。
それと、統計では、近所の人や親しい人には、ウチの旦那の事を、「ウチの夫は、」というケースが多いようです。
また、上司や、目上の人には、「ウチの主人は、」という言い方に変わるケースが多いみたいですね。
それと、ドラマでは、主人公というのが必ずいますが、公の主人というのは、この場合は必ずしも、男だけという事ではなくなってきますね。
夫に対応する言葉は妻
夫と妻との言葉は対の関係ですので、この言葉からは立場の違いは感じられません。
では、主人という言葉はどうでしょうか。
主人という言葉をを分解してみると、
主の人、これは全体の組織やグループの中心となる人ですね。
会社なら、社長
日本国なら天皇、
あるいは政治に置き換えると首相
家庭なら、大黒柱となる父親
古い家には大黒柱があります。
少なくても、今の洋風の家でも、和室には床柱がある家も多いでしょう。
全てに中心を置く、国レベルももちろんですが、組織も、そして家庭も。
特にその家庭に中心を置くという発想は、西洋にはあまり無いかも知れませんが、全てに中心の軸を置くという考え方から来ているのではないでしょうか。
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また、上司や、目上の人には、「ウチの主人は、」という言い方に変わるケースが多いみたいですね。
それと、ドラマでは、主人公というのが必ずいますが、公の主人というのは、この場合は必ずしも、男だけという事ではなくなってきますね。
夫に対応する言葉は妻
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では、主人という言葉はどうでしょうか。
主人という言葉をを分解してみると、
主の人、これは全体の組織やグループの中心となる人ですね。
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少なくても、今の洋風の家でも、和室には床柱がある家も多いでしょう。
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